公平さを訴えるものに公平さはない
不平等なこの現実の世界の中で、あなたのその苦しみを生かすことはできる。あなたと同じ苦しみを味わっている人がいる。その苦しみがわかるあなただから、そういう人たちの力になれる。あなたのその公平無私な人柄は、必ず評価されている。
あなたの中の正しさや選択に間違いはない。あなたの中の公平とは違う価値観を持つ人たちに、同じ公平さを訴えても、その人たちにあなたと同じような公平さはない。だからあなたを理解できない。
上司の取り巻きたちと同じようにはならない、媚びを売らないという選択をしているのはあなた自身であり、それがあなたが選んだ正しさだ。不当な扱いを受けるのはとんでもないことだが、同じように媚びを売ったり、ご機嫌を取ったり追従していないのに同じような対価を求め、公平さを訴えるのは公平ではない。人生は不平等で、不公平だからだ。
不平等な現実を公平にしようとしても、不公平さを感じる人もいるというのが現実だ。この事実を受け入れてほしい。平等ではない現実の中で、与えられた環境を受け入れ、その苦しみや経験を、あなたの思いやりや愛で人に生かしたとき、大きな喜びとなってあなたに返ってくるだろう。
職場での不公平感の訴え
ノルウェーの大学の臨床医学学科の研究チームが「職場うつの原因は上司の不平等な扱い」という調査結果を発表しています。仕事の量、過労がうつの原因になるわけではなく、周囲と異なる対応や不当な扱いを受けること、上司や職場環境がストレスであり、うつの原因になるのだということです。
先日、職場の上司から不当な扱いを受け、精神的なダメージを受けているというご相談を受けました。上司に媚びを売って取り入る人たちだけが高く評価され、仕事をどんなに頑張っても、上司に取り入っている人たちのネガティブな言葉とその上司の個人的な意見や主観だけで判断され、コミュニケーションを取ろうとしても、聞く態度も横柄で、全く聞き入れてもらえなかったと、怒りや悲しみ、理不尽さを感じていらっしゃいました。
ご相談されたその方にも部下や後輩がいて、キャリアがあり、物事を常に公平に判断し、自分の利益や主観を避け、偏りなく判断し、分析し解説するような公平無私な方で、えこひいきをして、主観的に判断し、個人的意見や感想を感情的にぶつけて差別するような上司が許せないし、残念だとおっしゃり、またこの上司の下では、自分はいつまでたっても正当な評価を受けられないのではないかと不安を抱えておられました。
この話を聞いている最中に突然頭に閃いたのが「公平さを訴えるものに公平さはない」というかなり強めのスピリチュアルガイドからのメッセージでした。この言葉をそのまま伝えるには語弊がかなりあります。私のうがった見方で、スピリチュアルガイドのメッセージを解釈しました。
同じことをしていないのに、同じものを要求することはできない
古代ローマ時代の哲学者「エピクテトス」の残した言葉をわかりやすく読み解いた、上智大学哲学科の荻野弘之教授の書籍「奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業」を解説したページにヒントがありました。「エピクテトス」は、キリスト教、仏教、無神論など様々な立場の違いを超えて、古今東西、多くの偉人たちにも影響を与えた哲学者で、日本ではあまり知られていませんが、欧米では古くから彼の言葉が日常の指針とされているそうです。
今回は、エピクテトスの以下の言葉を取り上げて解説したい。
他人と同じことをしないでいながら同じものを要求することはできない、ということを記憶しておくがよい。【中略】
どなたかの宴席に君だけ招かれなかった、と言うのか。それは、食事が売られるだけの値段を君が招待主に支払わなかったからだ。招待主の方は、お愛想と交換に、お世話と交換に、食事を売っているのだ。もし君がそれで得になると思うのなら、それが売られるだけの値段に見合う代価を払えばよい。だが代価は払いたくないが愛顧は得たいと望むのなら、君は貪欲で愚か者だ。
ところで、君は食事に代わるものを何も持っていないというのか。そんなことはない、君は自分が褒めたくもない相手に愛嬌をふりまくことも、屋敷の入口にいる者どもの無礼を我慢することも、しないで済んだではないか。
「なんであいつは…」「どうして自分だけ…」。不公平だと感じたときに、よくよく自分に言い聞かせたいこと
当時のローマ社会では、富や地位のある名士(パトロン)の屋敷に毎朝のように庇護民(クリエンテス)が訪れ、様々な要望や相談を持ちかける習慣があったそうですが、その時いつまでたっても順番が来なかったり、媚びを売って気に入られている人が、後から来たのに自分より先に通されたりしたら、同じ庇護民という立場なのに「不公平だ、あいつは自分より厚遇されている、何で差別するんだ」と不満や失望を抱いたのでしょう。こうした「不公平だ」と不満や失望を抱く人たちをエピクテトスは冷静に諭しています。
会社の上司・同僚や友人を食事に招待したり、お土産を渡したりする対象に選ばれるかどうかは、これまでのあなたの働きかけによるものであり、商品の売買のように、行為や恩義の相互交換が行なわれていたということです。例えば、あなたには渡されなかったお土産を誰かがもらっているなら、その人は媚びを売ったり、ご機嫌を取るような何らかの贈答や努力、行動をしているはずで、別の言い方をすれば、あなたが土産をもらえなかったのは「もらえた人と同じような行動をとっていないから」だと説いているのです。
エピクテトスからすれば、レストランの前で、お金を払わずに「食べられなかった」と言っているようなものであり「土産をもらえなかった」と嘆くような人は「貪欲で愚かな者」だというのです。
しかし、エピクテトスは「土産をもらえなかった人は、本当に何にも得ていないのか?」と問いかけ「土産をもらえなかった人は、褒めたくもない相手に余計な愛嬌を振りまいたりせずに済んでいるではないか」と言います。媚びたくない相手に媚びない。お追従したくない相手にお追従しない。媚びを売って気に入られようとするような卑怯者に私はなりたくない。そういう意志の自由を得ているということです。
理不尽だと思うような不当な扱いを受けたとき、誰かと比べて不公平だと感じたとしても、自分は媚びを売ったりご機嫌を取らなくて済んでいると思えば、少し心が軽くなります。また、あんな風になりたくないし、関わりたくないと思っている自分に気づきます。
世の中は元から不平等
媚びを売って、ご機嫌を取って気に入られた人が優遇され、評価されてしまう、それが現実です。裕福な家庭に生まれた人もいますが、その逆もあります。容姿や性別もそうです。法律では平等に生きる権利を与えられていますが、現実の人生は平等ではありません。この世の中は元から不平等です。ここで「平等」と「公平」の違いを下の図で見てみます。
「平等 Equality」とは、左図のように全員同じ台の上に立つことです。皆平等に同じ高さの台を与えられています。しかし背の高さには違いがあり、みんな同じように見ることができません。それに対して、右図のように、背の低い人にはもっと台を与え、みんなが同じように見ることができるようにすることが「公平 Equity」です。「公平」ですが「平等」ではなくなります。
これをよく「みんな平等にしないと」とか「同じようにしないと平等ではなくなる」と言いますが、元々人は平等ではありません。身体状態も違えば、育ってきた環境も違うのですから、身体や能力に差がある以上、同じように平等にしても全く意味がありません。個々に合わせることが「公平」です。しかしそれを特別扱いのように感じ、自分が優遇されていないと感じると人は「不公平さ」を感じはじめます。人が理不尽だ、不当だと思うのは「不平等」ではなく「不公平」なのです。不平等な現実を公平にしようとすると、不公平さを感じる人もいるというのが現実なのです。
残念ながら、人生は不平等で、不公平です。不平等な現実を公平にしようとしても、不公平さを感じる人もいるという、この事実を受け入れ、平等ではないこの現実の中で、与えられた環境を受け入れ、その苦しみや経験を、自分自身の思いやりや愛で人に生かしていきましょう。それがきっと大きな喜びとなってあなたに返ってきます。
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Eva et Lilit エヴァエリリトのスピリチュアルカウンセラー・ホリスティックセラピスト。スピリチュアル カウンセリング、オラクルカードやヌメロロジーリーディング、エンジェルヒーリング、アロマテラピー、ヒーリングアート、デザイン、ウェブ全般。得意なことは浄化。宇宙や不思議な話、怪談が大好き。最近は日本の神様や古事記、仏様や法華経に興味があり、写経や仏画にハマってます。
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